同人誌即売会のレポートを中心に、日常の出来事を書き連ねている、「CADDY雑記帳」というブログがある。

主宰・CADDY氏の記事内容については賛否両論ある。
記載内容に思い込みや間違いがある、という指摘は確かに否定できないが、それは人間である以上誰でもあり得る事である。自分もその一人なので、その点についてCADDY氏を批判する資格は、自分には無い。
自分的には、関西在住の身でありながら、関西地区の即売会に留まらず。交通費かけて東京への遠征も積極的に行っている。レポート内容の誤りはあるかもしれないが、そのバイタリティは高く評価している。熱心な買い手である事は間違いない。
そういう点で評価をしているが故、自ブログのリンク集にCADDY氏のブログを、勝手ながら加えさせて頂いている次第である。

だが、同氏の10月7日付の記事「8日のPio」に関する彼の論について、私は激しく異議を唱えたい。
以下、異議の詳細について申し上げる。
CADDY氏のイベント各論の根底には、同人誌即売会にも企業経営的な考え方を入れている点が挙げられる。
企業イベントならいざ知らず、同人誌即売会の大半は、個人主催。非営利、趣味でアマチュアが実施している。個人主催は、「好きだからやっている」趣味の世界である。
趣味の世界に、企業の論理で断罪する事自体、そもそも筋違いである。「好きでやってるんだから赤字だろうと構わないだろ?」と言われればそれまでである。

只、これは私見だが、個人主催の同人誌即売会であっても、多少は経営感覚があっても良いと考えている。一度きりの開催ならともかく、何度も継続して開催するのなら、毎回赤字だと主催個人の財布に響く。主催だって霞を食って生きている訳ではない。赤字になってイベントを畳むより、多少黒字を出して場を継続させた方が、同人世界の活性化になると思う。
という訳で、イベント主催に企業的経営を入れる氏の考え方については、自分としては決して否定しない(氏の論は、企業的経営論を押し付けるきらいがあるので、そこが反発を呼びやすいかも?)。
寧ろ、氏のこの考え方を踏まえつつ、氏に反論を行いたいと思う。

氏は、こう述べ、暗に不採算部門(斜陽ジャンル)を切るべきだと示唆している。

>これから大きくなるかも知れない新興のベンチャーは助けるが、役割を終えた企業はリストラさせる。バブル崩壊後一般の企業で行われてきたことです。鍵葉バブルが崩壊した男性向け同人界も全く同じなのではないでしょうか?

ジャンルが斜陽化し、サークルが集まらなくなった。役割を終えた、と見做しそこで切るのも一つの考え方だろう。それは否定しない。
実際、多くの男性向けイベントは、賞味期限がある今の内にオンリーを開くだけ開いて、斜陽が来たら開催を辞めている。
それが現在、最も顕著な事例は、実は「涼宮ハルヒ」である。
ハルヒはまだ一時期の勢いが失せただけで、「斜陽」にはなってはいない。
だが、あれだけ多くのオンリーが開催されても、2回目以降続けようとする主催はケットコムとSDFだけ。他のオンリーに2回目以降の動きは無い。殆どの主催は、今回で終わらせるつもりのように見える。
ハルヒが、CADDY氏仰る「役割を終えた」ジャンルになるのも、そう遠く無い未来であろうか。

また、氏の経営論は、今のハルヒの乱立現状も肯定している。
ハルヒだって勢いがあってサークルが集まる=採算が取れる、今の時期だから開催する訳でしょう。
今のハルヒ乱立に加担する主催と、CADDY氏の考え方とは、ここで奇妙な一致を見せている。

そういう訳で、氏の論は、今の男性イベントのハルヒ使い捨て現状の肯定に繋がっている。
だが、氏は、8月29日は発表記事「涼宮ハルヒの落日」の中で、現在のハルヒの使い捨て現状に疑問を投げかけていたような気がするのだが…。
果たしてこれはどういう事なのか。矛盾を感じるのは自分だけであろうか?

自分なんぞは、旬ジャンルに群がる主催が多い現状下、SDF1008のような形を取ってでも継続を図り、斜陽になっても面倒を見る方が、旬な内に使うだけ使い捨てる主催より遥かにマシだと考える。
むしろ【ジャンル愛】という名の美学すら感じる。

ハルヒに関しては、1年経って斜陽に陥った時に、何処のイベント主催が腹括って最後まで面倒を見てくれるのか。そこが見ものである。
(STRIKE HOLEは、斜陽に入ってもハルヒも見捨てない主催は、ジャンル愛を持ち腹を括った、漢気ある主催という観点から支持したい)

CADDY氏的企業経営的な論理で言うならば、「切る」事も経営の一つである。
だが、それだけが対処法ではない。他イベントとの共催で採算に乗せられるのなら、それも立派な経営だと自分は考える。
以前も、9月25日付拙文「マイナージャンルオンリーの苦闘と光明」でも論じたように、SDF1008やスキマフェスのような取り組みは、単独開催できないイベントが採算に乗せ、開催に持ち込めるようにする為の新しいアプローチとして、私は好意的に捉えている。


また、CADDY氏は、以下のようにに論じられ、

>しかし、かつて人気があったけど衰退し、単独開催ができないほどになってしまったイベントであるならどうなのでしょうか?既に開催意義を失い、ただ「開催し続けること」にしか存在を見いだせないのなら、こういった開催方法はどうなのかな?と思います。

として、単独開催できない規模のイベント=開催すること以外に存在意義なしのイベントとして、論中等号で結んでいる。

しかし、斜陽になっても、そのジャンルを本当に好きで、売り買いの場を楽しみにしている売り手・買い手は、少ないが必ず居る。
オンリーの開催意義は、ジャンル規模の大・小で決まるのではない
そこに売り買いの場を求める声があるかどうかこそが、重要な所である。
そこを等号で結ぶ事は、ジャンルを好きな売り手・買い手に対し失礼な話ではないか。

自分が思うに、CADDY氏は、同人世界において肝心な概念が抜け落ちているように思う。
CADDY氏は好きなジャンル、というものが無いのかもしれない
というか、【ジャンル愛】という概念をお持ちではないのでは?

氏のブログを拝見すると、ジャンルよりもサークル基準で即売会への参加・不参加を判断されている節が見受けられるし、ジャンル愛があったら、自分の好きなジャンルオンリーが存在意義無しなどと言われたくはない。自分が言われたくない事は書く気にならないはずである。
こういった理由から、氏には【ジャンル愛】という概念が欠如していると判断する。

オンリーの開催がジャンル斜陽の抑止効果をもたらす、という視点も欠落している。
オンリーが無くなれば、ジャンルは益々寂れる。
サンクリなどオールジャンルで発表の機会は残るが、発表の機会が減れば創作意欲も減る。そのジャンルで創作するサークルは益々減り、ジャンルは斜陽化が進み、悪ければ壊滅しよう。
オンリーがあれば、それがきっかけで創作する気を出すサークルも出てくる

流石にジャンル愛が無い、とまで断ずるのは言い過ぎかもしれないが、それにしてもちょっとジャンルというものを軽く考えすぎているような気はする。
特定ジャンルを好む同人者は大勢いる。氏には、ジャンルというものの持つ重み、ファンの思い入れ。そういったものに是非配慮頂きたいものである。