サークル「みるく☆きゃらめる」の吉本たいまつ氏は、これまでも『同人誌印刷のあけぼの』を刊行するなど、同人誌印刷業の「歴史」を研究し続けている。
文献研究に加え、時に応じ印刷業界の「キーマン」となるべき方々へのインタビューも実施。これらの手法を通じて「歴史」を掘り下げ、その成果を世に問うている。

筆者も、「同人誌即売会開催史」をテーマに研究を続けているが、アプローチは大きく異なる。
インタビュー等口伝を通じた歴史究明には比較的消極的で、時に応じインタビューも辞さない吉本氏の手法とは、対称性を感じる。

(口伝の必要性を完全に否定するわけではないが、記憶違いや盛られた内容等もあるので慎重に扱いたいところ。口伝の前に、文献史料を集めて足場を固める方が先決、とも考えている。だからこそ、ひたすらにコミケカタログを中心とした即売会情報の掲載内容を蓄積し続けた)

歴史に迫る切り口にしても、筆者は「文献史料から同人誌即売会開催の歴史を読み取る」という方向性。これに対し吉本氏は「同人印刷業の歴史」を掘り下げるという方向性だ。

筆者と吉本氏とでは、アプローチも切り口も異なるが、それで良いとも思う。
むしろ異なる手法だからこそ、それぞれが違った「歴史」を見出す。
お互いの成果を上手く合体させることで、研究もより進化していくだろう。

今回、吉本氏が著した『同人誌の母 田中(赤桐)圭子さんINTERVIEW』は、『コミックシティ』で知られる赤ブーブー通信社(法人名:ケイ・コーポレーション)・田中圭子社長への独占インタビューだ。
田中社長が同人印刷業に携わっておられた経緯もあり、吉本氏のこれまでの活動「同人印刷業の歴史」研究の延長線上的な部分もあるだろうが、筆者の研究する「同人誌即売会開催史」との関連性も高い。当サークル的には、冬コミ最注目の書誌。早速目を通した。


◆◆目次
1.2003年『東洋経済』掲載・田中社長取材記事について
2.単なるインタビューにとどまらない、吉本氏の調査力
3.何故ヘマやらかした『コミックシティ』が、今存続し得ているのか
4.当サークル刊行物『同人誌即売会開催史(1990年代)』との整合性
  • 1.2003年『東洋経済』掲載・田中社長取材記事について


赤ブー・田中社長は、中々表に顔を出さない(発信しない)イメージがある。
確かに赤ブーの発行物を見ても、元社員でもある故・武田圭史(コックローチ武田)氏が前面に出ていた傾向が、長年見られた。
同じケイ・コーポレーション主催の即売会「こみっく☆トレジャー」(赤ブーではなく、別ブランドとしての”青ブーブー通信社”名義での主催)を見ても、田中社長の実子でもある赤桐弦氏や故・武田氏が前面に出ていた印象だ。
トークイベント等のメディア出演も、赤桐氏・武田氏こそ登場を確認できるが、田中社長は表に出てこない。「謎のベールに包まれた」とも「一歩引いたスタンス」とも言えるだろうか?

その田中社長にインタビューを仕掛ける。そしてそれに、田中社長も応じていただける。
滅多にない機会である。
「本邦初ではないか?」とも言われるが、実は遡ること15年前。2003年に田中社長が『東洋経済』からの取材に応じていた、という事実を指摘しておきたい。

あ、いやもう10数年前のことだからぶっちゃけますが…実は最初(色々事情があって)筆者に取材の突撃が来たのですよ、なぜかw
フリーライターの方が「自分同人のことよく分からないんですが、同人で記事書きたくて…」だとか「”アキバ系”とか取材しようと思ってるのですが」とかおっしゃるので(流石に「コミケ」はご存知だったが)、とりあえず当時の自分が知り得る限りの知見をお話しした。
自分が詳しいのは「同人誌即売会の開催状況」なので、北海道の「おでかけライブ」から九州の「コミックネットワーク」まで、一通り即売会の存在をレクチャーした…みたいな感じだっただろうか。もちろん、「コミックシティ」の存在もその時にお話している。

その後『東洋経済』から成果物を献本いただいた。
中身を開くと、当初想定していたであろう「アキバ系」よりも、「腐女子」への取材に注力した記事として仕上がっていた。その中で、赤ブー・田中社長への取材成果も、2ページにわたり掲載されていたのだ。
(というか自分に接触してきた時は、同人のことよくワカリマセン、って感じだったのですが…記事を見ると急速に理解を深めていった様子が伺え、さすがプロのライターだとは思ったかな…)

今読み返してみるとまた違った印象を持つだろうとは思うが(あとで当時の『東洋経済』を発掘し読み返す予定)、当時この記事を読んだ時は、「人のためになることをしたい」という田中社長の想いの強さを感じたものであった。
その想いは、15年の時を経た2018年のインタビューにも相通ずるものを感じる。今回のインタビューからは、田中社長の行動原理として、「弱者に目を向ける」「困ってる人を助けたい」的な色彩を感じた。
たぶん、2003年と2018年とで、田中社長の考え方は、そんな変わりはない。むしろ、ほぼ一貫していると思う。

ちなみに、吉本氏の本誌における解説記事内・注釈文を確認すると、この『東洋経済』取材記事を出典としている記述もある。
私が偶然の賜物で知ったに過ぎないこの記事に、吉本氏が難なく(?)到達されているあたり、相当深く調査されていることが伺える。



  • 2.単なるインタビューにとどまらない、吉本氏の調査力


前段で触れた『東洋経済』取材記事捕捉の件以外にも、吉本氏の調査力は、至る所で感じ取ることができる。
これは一昨年秋の話だが、吉本氏は、他の誰もが気付き得ないであろう発見を成し遂げた。









田中社長が、赤ブーブー通信社創業以前の経歴として、秋田県に本拠を持つ「劇団わらび座」に所属していたことが明らかに。
「わらび座」は全国興行の劇団というのみならず、温泉や宿泊施設等も運営しており、観光業者としての性質も有している。その中で赤桐圭子氏(当時は「赤桐」姓の模様)は、修学旅行での農村体験学習受入に尽力したとのことだ。
今でこそ教育旅行での体験実習は多々見受けられるが、御一行様旅行メインの1970年代にそれを受け入れたことは極めて珍しく、先駆的な事例だ。田中社長は「同人誌の母」である以前に「教育旅行における体験学習の生みの母」でもあったという事実を突き止めている。


田中社長へのインタビューに当たっては、こういう広範な調査能力に基づいた、田中社長への深い理解を基盤に、問いを投げている。
「わらび座」時代のこと、次いで印刷業界に転じた時のこと、そして赤ブーブー通信社の創業…質問の内容一つ一つから、相当調査を極めていることが伺える。
赤ブーブー通信社創業について尋ねるときには、その語源となった「曳航社」発行の情報紙「赤ブーブー通信」についての質問を投げている。

なお、このインタビューは、吉本氏と田中社長の1対1ではない。
吉本氏に同席する形で、コミケット準備会・筆谷共同代表、同人誌即売会開催史研究家・国里コクリ氏、ライター・三崎尚人氏、そして赤ブー側からも赤桐弦副社長が同席している。
吉本氏以外の聞き手諸氏も、相当の見識を有する方々ばかりだ。聞き手としても「一騎当千」の方々揃いゆえ、実に濃い内容に仕上がったと言えるだろう。

思えば2003年『東洋経済』のライターさんも、相当勉強されていたのは間違いないだろうが、「同人」に関する知識量では、申し訳ないが、流石に上記の方々には及ばないだろう。
今回のインタビューは、これ以上無い陣容の、「最強の聞き手」たちの手により、田中社長から身のあるメッセージを引き出せた、という点にも注目すべきである。



  • 3.何故ヘマやらかした『コミックシティ』が、今存続し得ているのか


赤ブーブー通信社『コミックシティ』の1990年代は、多くの試練が訪れた。
1994年には、幕張メッセ即売会中止事件。そしてこれを受けての、「自主倫理規定」発表。
次いで1995年にはスーパーコミックシティでのサークル逮捕事件
これらの事件に対し、数多くの批判が渦巻いた。特に、コミケットカタログ(1995年夏コミ)では、当時の準備会重鎮/故・岩田次男氏が「個人の意見」としながらもコミケットカタログの2ページを費やし赤ブーを辛辣に批判した。

この件を、今なお鬼の首を取ったかのごとく批判する向きも、まだ見受けられるが…
でも待って欲しい。いろいろ問題が噴出した当時の赤ブーブー通信社が、何故今もこの事業を続けていくことができたのか?そこをもう少し、考えていただきたいと思う。

この1990年代は、同人イベント乱立の「戦国時代」だ。
地方は、様々なイベンターが攻め込んだり攻め込まれたりの「国盗り物語」だ。
都会だって『コミックシティ』だけが大規模即売会ではない。東京文芸出版系の『コミックシティ』もあるし、スタジオYOUの『コミックライブ』もある。東京文芸出版倒産後は、事実上の後継即売会『コミックワールド』も登場した。
ぶっちゃけ、『コミックシティ』がヘマしても、代わりとなる即売会は腐るほど存在していた。

参考リンク:2018年12月06日付『スタジオYOUの「個人主催潰し」という定説は、本当に真実か』


…にもかかわらず(他所の即売会が絶えても)『コミックシティ』は続いている。これが「現実」であり「事実」である。ここから目を逸らしてはならない。

では、何故『コミックシティ』は逆風を耐え、今もなお存続しているのか?
本誌『同人誌の母 田中(赤桐)圭子さんINTERVIEW』には、『コミックシティ』が逆風を耐え抜いた理由が、数多く示唆されていると思う。

過去田中社長が務めていた印刷業者には、同人作家達の「たまり場」的な部屋が存在していたようだ。そこで徹夜して、即売会に原稿を間に合わせる。
田中社長は、入稿後即印刷できるよう待機。豚汁をつくり参加者に振舞ったこともあったようだ。
そういう中で、将来「大御所」になりうる若い作家さんを励ましつつ、1対1の人間関係を築きあげていたことが伺えた。

これはあくまで一つのエピソードだが、他にもサークルさんを「この子たち」という言い回しで、「この子たちを守りたい」という言葉は、インタビュー中に繰り返されている。
「この子たちのために●●したい」というフレーズも、幾度となく頻出している。
これらサークルの多くは女性だが、サークルさんを「我が娘」のごとく可愛がり、大切にしていた様子が伺える。

こういうサークルを大切にする姿勢を主催が見せてくれれば、サークルも主催を支持する。自明の理である。

『コミックシティ』は、何故あの逆風を乗り越えられたか。
そして『コミックシティ』は、何故女性陣の支持を受けているのか。
その理由の一端が、このインタビューから見えるのである。



  • 4.当サークル刊行物『同人誌即売会開催史(1990年代)』との整合性


本誌『同人誌の母 田中(赤桐)圭子さんINTERVIEW』を読んでいるとき、筆者は、自身の成果物でもある『同人誌即売会開催史(1990年代)』との「答え合わせ」をしているような気分であったw
読んでみて、おおよその部分で食い違いは見られなかったとは思う。大枠は一致ないし整合性が取れており、一安心といったところか(汗)

唯一食い違いがあるとすれば、『コミックシティ』が全国展開を進める時期について、だろうか。
『同人誌の母 田中(赤桐)圭子さんINTERVIEW』では、『コミックシティ』は1990年代初頭から全国展開を推進した、という前提で話を進めている。
一方、筆者はその当時の全国展開は確認するものの小規模・散発的なもの(=大々的ではない)と見なしており比較的軽視している。むしろ全国展開の本格化は、前段でも触れた赤ブーにまつわる逆風が吹いてから後、1990年代後半以降という認識だ。

この点について違和感を覚えるのは事実だが、ここはもう少し議論や研究を深めていきたいところである。議論と研究の深化を通じ、また違った「何か」が見えてくるであろう。
私の研究成果と吉本氏の研究成果。互いに掛け合わせることで、違った「歴史」が発見されるだろう。そういう「化学反応」的な何かを生み出せるよう、努めて参りたい。

結論を申し上げると、『同人誌の母 田中(赤桐)圭子さんINTERVIEW』は、同人誌即売会の歴史に迫る、「会心の書」であることは間違いない。購入必須の書、とも言える。
で、そのついでにですね…セットで筆者の著作『同人誌即売会開催史(1990年代)』はいかがっすかー?両方買うことで、より即売会の歴史について重層的・多面的な理解が深まりますよ!是非お願いします!(宣伝)


オチが宣伝なので、最後に両作品の通販リンク先を掲示するw

『同人誌の母 田中(赤桐)圭子さんINTERVIEW』

『同人誌即売会開催史(1990年代)』