「表現の自由」は、当然保障されるべきものである。ましてや、自己表現の場である同人誌即売会ではより保障されて然るべきである。
しかし、「表現の自由」を野放図に主張し濫用する事には反対である。
表現には、それに伴い相応の責任が付いて回るものである。公共性との兼ね合い、周囲に不快や迷惑を掛けない事、これらは表現の自由に伴う表現者の責任である。

要は、周囲に不快や迷惑をもたらしてまで保障される「表現の自由」なんぞ無い、という事である。

12月4日の「同人イベントトークライブ」でも話題に取り上げられた、女装コスに対する規制の話について、今日は論じさせて頂きたい。
既によつばの。様@すのすけ様がこの件について話題にされており、二番煎じどころか三番煎じな悪寒ではあるが、自分なりに考えをまとめこの場で申し上げたいと考える。
先ず、女装推進派の皆様には申し訳ないが、女装コスプレに対し嫌悪感を持つ人が相当多い事、これは現実であろう。
本来であれば統計データでも纏めて提示したいところであるが、それが出来ない以上「そんなの貴様の主観だ」と言われればそれまでかもしれない。
しかし、女装コスプレが市民権を得ているのであれば、女装コス禁止を標榜するイベントが何故これほどまでに多いのか。そして、何故あの場で「女装禁止の規制緩和」を必死に主張する必要があったのか。
現状では、市民権を得て支持する人間以上に嫌悪感を持つ人間が多い、と考えるしかない。

イベント主催の論理で言えば、女装コスを推進したところで嫌悪感を持つ人間から苦情が上がる危険性もある。
主催をする以上、出来る限り多くの参加者に楽しんで貰いたいのは当然の気持ちである。苦情の上がるリスクを放置してまで、女装コスを許可する道理は無い。
尤も、女装コスを禁止した所で、今回然り女装コス推進派から苦情が来るであろう。だが、現状は

支持理解系<<<<嫌悪系

である。多数を切り捨て少数を擁護すれば、多数を擁護し少数を切り捨てるよりも苦情・抗議等のリスクは大きい。リスクの少ない方を取り、女装禁止をお願いする主催者が多いのは止むを得ない事である。
もしトークライブの彼が、女装コスの規制緩和を訴えるならば、そういったリスクを跳ね返すメリットを主催側に提示すべきだった。それをせずに規制緩和を何故しないんだと被差別意識剥き出しで食い下がっても、主催を心変わりさせる事は出来ない。

主催本人の好みで決めるのは如何なものか、という考えもあろうが、これについてはこう申し上げたい。
ルールを決める人間は主催である。サンクリのように皆でルールを考えていきたい、というイベントもあるが、サンクリにせよ多くの意見を集約した上で、最終的には主催が判断し決定する。
一方、参加者はイベントに参加するか否かを判断する権利がある。主催の判断するルールに不服があれば、イベントに参加せずとも良いわけだ。しかし、イベントに参加するのであれば郷に入れば郷に従え。そのイベントに定められたルールに従って頂くより他に無い。
主催の好みだろうとなんであろうと、最終的にルールを決めるのは主催である。イベントに参加するのならば、主催判断を尊重しルールを遵守すべきである。


要は、女装コスはまだまだ市民権を得るには至らず、嫌悪感を持つ人間が多い。周囲に不快感や嫌悪感を与えてまで表現の自由は守られるべきものではなく、申し訳ないが女装コス禁止の現状は、止む無い措置と考える。
女装コス推進者は、この現状を深く認識した方が良い。そして、もし女装コスの規制を緩和させたいのであらば、あの場で駄々をこねるのではなく、現状を踏まえた上で皆の理解を得られるような戦略を練るべきであろう。


市民権を得られていない事は、世間的に認知されておらず理解も薄い、という事である。女装コスへの理解を深める策を講じる必要がある。
よつばの。さんが支持派の意見をWEBで発信するなりすれば理解してくれる人は増えるのでは、と書かれている。WEBで考えをまとめめ発信する事は、理解者を増やす大きな手助けとなろう。
また、これは私個人の思い付きであるが、綺麗な女装コスレイヤーの写真を載せては如何か。女装レイヤーはこんなにも綺麗なのか、女装コスも悪くないじゃん、と思う向きが増えれば、女装への理解も深まろう。

女装コスOKのイベントを自ら開くのも一つの手である。
今一度申し上げるが、イベントのルールを決めるのは主催である。
会場に直接問い合わせるほどの行動力をお持ちであるならば、自ら主催し、女装コス可のイベントを創り上げても良いのでは。あそこでしつこく食い下がる程の女装コスに賭ける情熱があるのなら、その情熱をイベント主催に傾けてはみないか。
レヴォだって「虐げられし男性向けの受け皿に」との理念が男性向けサークルから評価され多くの支持を集めた。「虐げられし女装コスに道を開きたい」との理念を持ってイベントを開けば、その理念に賛同して参加するレイヤーはきっと居るはずである。


いずれにせよ、自説を押し通そうとするだけでは、世間の理解は得られず、何も変わらない。
現状を認識し、世間の理解を得る為のアプローチや行動を彼らは起こしたのか?
その点を彼ら自身が今一度省みない限り、残念ながら今の現状が彼らの求める方向に変わる事は、決して無いように思う。