先日10月14日付「CADDY雑記帳さんに異議あり!」の中で、自分は、CADDY雑記帳さんの記事内容に異議を申し立てた。
これに対し、CADDY氏より10月15日付「理想と現実と金と愛」より当方への反論らしき記事をいただいた。反応をいただいたことには御礼申し上げたい。

ただ、ここで反論「らしき」という語を用いている。
正直申し上げて、CADDY氏の論は、自分の中では「反論」とはみなせない。
「反論」というのは、「相手の意見や批判に反対の意見を述べること」である。→参考
いや、ぶっちゃけ彼の論、自分の論とシンクロし、自論を補強しているフシすら見受けられるのだが…それ「反論」じゃないでしょうw

自分は、前回の記事でこう書いている。(以下要約)
・旬ジャンルに群がる主催は多いけど、旬な内に使い捨てるだけの主催より、斜陽になっても面倒見る主催の方がジャンル愛があるから良いんじゃね?

CADDY氏は今回の「反論」で、同人世界は高度に商業化が進んでいる旨を延々説かれている。ハルヒの乱立も商業化の顕著な例として取り上げている。
だが、自分に言わせれば、彼が同人世界の商業化を訴えれば訴える程、斜陽になっても面倒を見る(オンリーを開催する)主催は、商業化と相反するポジションにいる点が浮き彫りになる。
主催が「儲け」を最優先するならば、斜陽ジャンルなんぞ開かず旬ジャンルばかりに飛び込むのが手っ取り早い。
CADDY氏が商業化云々を訴えるのは構わないのだが、それを強調すればするほど、「じゃあ斜陽ジャンルの主催は、儲からないんだから商業化とは相反する”ジャンル愛”の位置にいるでしょ?」って自分は主張しやすくなる訳で。
どう考えても自論の補強をして下さっています。本当にありがとうございます。


後半部のここら辺は反論っぽいか。
自分は、前回の論で、「単独開催が出来るレベルでなくとも、売り手・買い手にオンリーを求める声があれば、オンリーを開催する意義はあるんじゃね?」と申し上げた。これに対するCADDY氏の「反論」はこんな感じ。

>私は単独開催ができなくなった古いジャンルのイベントはサンクリとかの総合イベントでフォローできると考えています。サンクリの配置担当者とかも大手でない限りジャンルごとにサークルを集めてくれてますし、そういったやり方で十分フォローできていると考えています。あるいは販売店への委託でもいいんじゃないでしょうか?
それでもなお「ジャンル愛のためならオンリーでないとダメ」ってことになるのでしょうか?

いや、CADDY氏仰る「サンクリ等でフォローできる」って論は頷ける。
オールジャンルならサークル毎にまとめてくれる。もっと言うと、コミックシティのような「ヤドカリイベント」形式で頑張っているマイナージャンルもある。(参考:拙文9月25日付「マイナージャンルオンリーの苦闘と光明」)
オールジャンルを活用する事、それはは一つの方法であろう。

だが、自分の考えとしては、「オンリーを開けるのなら開いた方が、売り手も買い手も、活動の選択肢が増えるからよりマシなんじゃないか?」という部分。オールジャンル「のみ」じゃなく、オンリーという選択肢が増える。
決して自分は、「ジャンル愛のためならオンリーでないとダメ」などとは主張していない。前回、そこまでのオンリー絶対主義者的なニュアンスで書いてない筈だが…。
売り手や買い手が求めるのなら、斜陽になろうとオンリー開いたっていいだろ?と申し上げているだけだ。

#蛇足:「販売店への委託でも…」とあるが、商業化が進行している同人世界、斜陽ジャンルを取り扱う店は何処まであるのか疑問。買い手の需要も少ないだろうし。


また、自分は、前回こう申し上げている。

>ジャンル愛があったら、自分の好きなジャンルオンリーが存在意義無しなどと言われたくはない。自分が言われたくない事は書く気にならないはずである。

これは、言葉を言い換えれば

CADDYさん…アナタ当該ジャンルの人が”言われたくない事”を書いちゃってるよ…言葉気をつけようよ…

という事でもある。
まあ、自分も「貴様ジャンル愛ねえだろ」「ジャンル愛って概念自体持ってないだろ」って挑発してしまったので、他人様の事言えた義理ではないのだが。流石に言いすぎ、ひどい言い草であったと思う。その点については、CADDY氏にお詫び申し上げたいし、猛省せねばならない。
ただ、今回の「反論」の中でも、当該ジャンルに対し「ヘドロみたいに溜まってゆけば、全体の流れも悪くなるのではないでしょうか?」と書き、当該斜陽ジャンルを「ヘドロ」扱いしている
ちょっとそれはジャンルの人に失礼じゃないかと思う。
もう少しそこら辺、言われた人間に対して配慮した表現にすべきと思う。自分に対する自戒の念を込めつつ、CADDY氏にもその点訴えたい。

(もっとも、このヘドロ・新陳代謝論についても異議はある。同人人口がここまで拡大し活性化した原因は、古い同人者は居残りかつ若い同人者が新規参入するからである。古い人間が居なくなったからと言って、それは活性化に寄与しない。古い人間も残り、新しい人間も入る。両方の条件が揃えば活気が増す事は、普段のコミケやサンクリ等のイベントを見れば明らか。古い連中が消えて若いのが新規参入する、いわゆる「新陳代謝」型のイベントは全国各地殆どの地方イベントが当てはまるが、どれも皆サークル数が減少し活気も失せている。取り敢えずここは本題ではないので、この辺で切り上げる。)


まとめると、当方の主張は3点。

1.商業化は確かに進行している。ならば、儲からない筈の斜陽ジャンルの主催は、商業化とは相反する”ジャンル愛”の位置にいる。
 斜陽ジャンルのオンリー開催は、”ジャンル愛”の現れとして評価しても良いのではないか。

2.単独開催が出来るレベルでなくとも、売り手・買い手にオンリーを求める声があれば、オンリーを開催する意義はある。
 オールジャンルでのフォローも可能だが、オンリーが開催されれば活動の選択肢も増える。オンリーもあるに越した事は無い。

3.氏の諸々の発言は当該ジャンルの人間にとっては言われて不快な事。言われて嫌な事は言わないよう配慮するべき。


この3点が当方の主張であるが、言い方が悪かったせいか、余り理解されず、非常に残念である。
上記3点、当方の主張を充分ご理解いただいた上で、反論があれば遠慮なくお願いしたい所である。
*拙文9月25日付「マイナージャンルオンリーの苦闘と光明」も宜しければご一読願いたい。


【追記】
「覚醒夜」中止云々の件については、その経緯を自分はよく知らない。(前回のCADDY氏の論を見る限り、CADDY氏はご存知のようだが…)
中止の経緯を知らない以上、この件についてコメントする事は差し控える。
CADDY氏には、「覚醒夜」中止の経緯を、当方にレクチャーいただけるよう、引き続きお願いしたいものである。


【2006年10月28日追記】
覚醒夜の件については、本日現在、残念ながらCADDY氏より説明は得られていない。
但し、よつばの。様10月26日付「晴れた日はよく届くから」にて覚醒夜の中止経緯についての解説が寄せられている。
情報ソースの出所は明確に出ては居ないが、関係者筋からの情報の模様。
よつばの。様がわざわざ時間とページを割いてWEBの場で掲載する、という事も併せ考えると一定の信頼性があると見て良いだろう。貴重な情報ご提供、御礼申し上げます。

ただ、これが事実とすると、CADDY氏の問いかけに対しては益々答えにくくなる。
というのも、CADDY氏の問いかけは、ジャンル愛とイベント中止とを関連付けての問いかけであるが、今回のイベント中止は、ジャンル愛とは全く別の次元での中止である。「ジャンル愛」というテーマに関連付けて、覚醒夜の中止を語る事は事実上できかねる。

イベントが中止になってしまった事は大変残念な事ではあるが、別にそのイベントで食っている訳じゃない。
仕事だの勉学だのが忙しくなれば、そっちが本業だからそれを最優先せねばならなくなるのは当然の事である。残念ではあるが、致し方ない事情なのだろう。
取り敢えず私も、今までお疲れ様でした、という言葉を贈りたい。